千葉県民はどのようなイメージでしょうか。これを聞いて回ると、大抵の人は都心に近い北西部のイメージが強いので、「東京ぶっている」「プライドが高そう」「偉そう」などと、何を根拠に言っているのか、まるでネガティブキャンペーンのような批判的意見も出てきました。
しかし、これは全くの見当違いといえます。実際、千葉県は地域によって特色が極端に違います。というのも、「千葉都民」がうごめくベイエリアや常磐線沿線だけではなく、生粋の千葉県民(房総人)が暮らす房総半島もあっての千葉だからです。
むしろ「千葉都民」にあまり侵されていない南部や東部こそが「ザ・千葉」の姿ではないでしょうか。
それでは、千葉県民にはどのような特徴があるのでしょうか?
この記事では、地域毎に性格や気質が異なる千葉県民性について徹底解説いたします。
✔千葉県民の特徴
✔「千葉都民」と「原住民」の関係性
✔千葉県民全体のライフスタイル
もくじ
千葉県を広く捉えて、その県民性について調べてみると、驚くべきことに「これが千葉の県民性だ!」といえる際立った特色がまるで見つけられませんでした。どうやらそれは歴史のせいでもあるようです。
江戸時代の房総は小藩や天領が入り乱れた土地でした。そのため房総という括りの伝統が育たず、これといった特徴的な気質が生まれなかったといいます。
地域が細分化されていたので地元意識は生まれましたが、房総の住民意識に欠けていたのです。それが現在も続いていて、「郷土愛が薄い」 という県民気質になったのです。
現在では、特に北西部は大量の千葉都民に浸食されて、郷土意識がさらに希薄になっていますが、こうした千葉都民に代表される「移住者」も、実は房総人気質のキーワードだったりするのです。
房総はその名の通り、下総、上総、安房という3つの国に分かれていました。つまり、房総人の気質は、県全体で話をするよりも地域ごとに見ていくことがポイントになります。
3国のうち、最も北部にあるのが下総で地理的には東西に長く、海に近い東部と内陸部で住民気質は大きく異なります。
下総東部の九十九里沿岸(※主に銚子周辺)には昔、畿内(大阪や和歌山)から多くの漁師が移住してきました。そのため、西国の漁師の荒々しい気質が息づいているといわれています。
確かに外房でも北に行くほど、特に男たちの気は荒くなります。ケンカっ早くて、頑固で口うるさい……。
(しかも生粋のギャンブル好きだ!)
プライドが高く、地元で獲れた魚が自慢なので、地元の料理屋に行くと値段が高いお店も多かったりします。
一方、下総の内陸部や上総になると、住民の気質は穏健で保守的になります。ちなみに古い時代の上総人は元々偏屈で荒っぽい性格だったといいますが、江戸期になると気質が激変します。
江戸に近かったので、江戸と密接な関係(住民の多くが江戸の武家屋敷や商家に奉公に出ていた)を持つうちに従順な性格になったといいます。雇われ根性という感じで、 いつの間にか牙を抜かれてしまったのです。
彼らは徳川や領主様々だったようで、江戸後期に全国で一揆が多発した頃も、上総は比較的平穏に済んでいたといいます。つまり、この地域の人たちは環境に順応していくタイプだといえるのです。
下総や上総民には打算的な一面もありますが、権力に上手く取り入るために身につけたものという見方もできるでしょう。
一方の南房、つまり安房は古代の昔、阿波国(徳島)の斎部氏が海を渡って移住、開拓して「安房」となった伝承があるように、徳島と縁が深い土地だといわれています。
安房人の性格は、元々は協調性に欠け、ぶっきらぼうな気質だったようです。現代の安房人は、サバサバしていて、おおらかでのんびり、南国気質が濃厚な楽天家と一般的にはいわれているので、移住した人たちが三方を海に囲まれた温暖な気候で暮らしていくうちに、柔和になったと考えられるでしょう。
しかし、当地の気質を語る上で肝心なのは、安房人は阿波人だったこと!(ややこしい) そのため、徳島県民の代表的な県民性である「商人気質」も持ち合わせているようです。
最近住み始めた人に話を聞いてみると、原住民はどうやらお金にうるさいようで、安房の人たちの「がめつさ」は徳島譲りなのかもしれません。
徳島女性の特徴として「気の強さ」があり、結婚すると「旦那を尻に敷く」といわれていますが、安房でも男性よりも女性の立場が強いです。 房州名物の一つに「かかあ天下」があるように、ここにも徳島人の気質が見てとれるのです。
「かかあ天下」希望の夫婦にとっては良い関係が築けることでしょう。
さらに安房の北方の内房側の住民は、商売下手ともっぱらの評判であることです。大ざっぱで人懐こくて、キレることも少ない楽天家の安房人ですが、気質の肝心な部分が抜け落ちているのは何とも興味深いものがあります。
このように各地域の気質が極端に異なる房総人は、とてもミステリアスな存在なのです。
千葉(房総)は、一つの大きな島でもあります。利根川、江戸川、東京湾、平洋に囲まれた千葉は、いってしまえば島国です。
そのため生粋の千葉県民(房総人)は島国特有の閉塞性を持っています。その一方で、大海(太平洋)や大河(利根川)に面していて、水上交通が発達したおかげで外との交流も活発に行われ、 開放的な部分を持ち合わせたといわれています。
このように持っている気質に矛盾があるのが房総人の特徴であり、不可思議なところです。
もちろん、ある地域では荒々しく、ある地域では保守的で、ある地域では楽天的と、千葉県内にも関わらず地域によって気質の違いの振れ幅が極端であるのも特徴的です。
こうしたアンビバレンスな房総人を理解しようとするのは難しい……。だからこそ千葉は全体的な県民性が見えにくいといわれるのかもしれません。
房総人は分裂質タイプという人もいるくらいなので、第三者からなかなか理解してもらえない性格なのかもしれません。
また、江戸時代の房総は小藩や天領で細分化されていました。そうしたミニ・コミューンが乱立していた時代の名残りがあるのか、現代でも各地域はまとまりを欠いて、市町村合併はあまり上手くいきませんでした。
つまり、 房総人の団結力は低く、どちらかといえば「個人主義」といえます。
「集団」ではなく「個」を尊重しているというのは、古来から移住者を ヨソ者と突っぱねずに受け入れてきた寛容さからも見てとれるのではないでしょうか。堅苦しい地域のしがらみよりも個人の意思を尊重するのが房総人なのです。
しかし、房総人の個人主義にも問題がありました。
以前、NHKが行った「全国県民意識調査」の「どうしても許せない悪いこと 」という質問で、「他人にウソをつくこと」「夫婦間以外の性的関係」「かけごと」の3つの項目について尋ねたところ、「はい」と答えた人の割合はいずれも千葉が全国最低でした。
また家庭生活では、一人ひとりが好きなことをして過ごすよりも、家族の団らんを大切にしたいと思いますか?」の質問に対する答えも全国最低だったのです。
この結果からも房総人の個人主義の高さと、自分にも他人にも甘いことがよくわかります。 自制心が効かなくなると「暴走」 する怖さを房総人は持ち合わせているといえそうです。
千葉都民が房総半島まで進出!
「千葉都民」という言葉を幾度となく記してきた。各種マスコミや政治家の街頭演説などで、かなり取り上げられているワードですが、、案外千葉県民には定着していないようなので、改めてここで定義しておきます。
一般的に「千葉都民」とは、千葉県に居住しながら都心に通勤、通学する人々を指します。千葉都民が重視するのは都心へのアクセスで、そのほとんどがドア to ドアで勤務地まで1時間程度の住宅地に居住しています。
そのため、総武線や常磐線、つくばエクスプレスが通る東葛・葛南エリアの沿線が主な分布地にります。
それを裏付けるデータが、「東京都へ通勤・通学する15歳以上の就業者・通学者の割合」です。トップは浦安市で48.6%。対象者のおよそ2人に1人が都心に通っていることになります。
次に市川市が46.8%で、松戸市、 船橋市、流山市、習志野市までは30%台。我孫子市や柏市、白井市、 八千代市、鎌ヶ谷市が25%以上となっています。
この辺りまでが千葉都民の主要生息エリアとなるでしょう。また、通勤通学率はそれほど高くはないものの、アクアラインの高速バスを 利用する「ニュー千葉都民」も増加中です。
東金市や一宮町など外房に近い鉄道不便地域にさえもその勢力を拡大しています。圏央道が全通すれば、今後さらに千葉都民の生息分布は拡がる可能性もあります。
実は千葉都民の進出は、県内に様々なメリットをもたらしています。再開発が進み、新築マンションが整備された「流山おおたかの森」や、柏の葉キャンパス は「住みたい街」として人気が急上昇!
斜陽が差し込んでいた木更津市や袖ケ浦市はアクアライン効果によるニュー千葉都民の増加で、ちょっとしたバブルを迎え、大規模商業施設の進出ラッシュが相次ぎました。
開発が進む活発な街は移住者にとって魅力的に映るようでおすすめの街として猛プッシュするので、千葉全体のイメージアップにも繋がっています。
県内における経済効果は計り知れず、自治体の財政にも貢献。今や千葉都民は千葉県浮沈のカギを握っているといえるでしょう。
報道やデータを見る限り、千葉都民の増加は良いことばかりですが、元々の原住民はあまり関心がないとされています。現地で取材しても、北総や南房総あたりでは、千葉都民というワードの存在すら知らない人が多いのです。
一方で、東葛、葛南辺りでは、千葉都民という言葉に敏感に反応します。千葉都民と呼ばれることに嫌悪感を抱く人もいるようです。対照的ともいえる両者の反応。このような差が生じる原因はなぜなのでしょうか。
そもそも千葉都民の主要エリアである東葛、葛南と、原住民が分布する北総や南房総のエリアは、千葉市を境に鉄道網が分断されています。
一応、内房線や外房線などで繋がっていますが、千葉駅での乗り換えが必要になることが多く、よほどの用がないかぎり東葛、葛南に足を伸ばしません。
馴染みがあるのはディズニーランドのある舞浜か、予備校が林立する津田沼で、柏や松戸、流山に至っては同じ千葉県民でも足を踏み入れたことがないという原住民もいます。
つまり、原住民は東葛、葛南のことをよく知らないだけでなく関心すら抱いていない印象です。それぞれの地元に対する愛情は深いものの、千葉県全体を愛しているわけではなさそうなのです。
一方で、船橋在住の千葉都民に話を聞くと、「千葉県は本当に魅力的なところです。少し足を伸ばせば海も山もあって、食べ物もおいしい。千葉県に移住して良かった!」と、子供とともに笑顔を見せている場面が見られました。
千葉都民にとって南房総は交通網が分断された未知なる秘境という位置づけですが、それにも関わらず千葉都民は原住民エリアに対する関心が高いです。
さらに千葉都民の多くは千葉県に対する愛情が強い! こうした千葉都民は千葉を批判されると、真っ向から反論します。特に埼玉民に対立を煽られると本気で怒るらしい……。
マスコミなどで取り上げられる「埼玉VS千葉」の永遠の対決は、正確にいえば「埼玉都民VS千葉都民」の対決といえるかもしれません。
しかし、地元について深く知っているわけではないので、漠然とした「千葉」に対する愛着を感じているのも愛嬌だと感じるのです。
ある木更津の原住民は「柏とか松戸あたりはあんまり千葉のことに興味がないんじゃない?」 と語っていましたが、 実態はそうでもありません。
むしろイメージだけで語っているのは原住民で、千葉県全体のことに関心を抱いているのは千葉都民です。船橋民は「もっと千葉のことを知りたいです」と明言していて、本来は両者が手を組めば千葉県のポテンシャルをフル活用できると思うのです。
ところで、千葉に興味がない千葉都民がいることも事実です。それが市川民と浦安民。この両者はそもそも千葉市よりも江戸川区の方が断然近い。
総武線を使えば錦糸町まですぐの距離で、新木場駅で東京メトロに乗り換えれば銀座や有楽町も至近です。生活圏が完全に都内にあるので、千葉県民という意識が薄いのも当然といえるでしょう。
その点、浦安の旧住民は埋め立て前の浦安に対する郷愁の念があります。古くは小さな漁村だったので、内房や外房への思い入れが強いのです。
しかし、市川民は旧住民でさえも東京都民だと自認する傾向があります。
「東京都市川市」だというのです。
この事実を市川民に質問してみると、「だって、東京じゃん!」と千葉を知らんぷり……。もっといえば、江戸川区を下に見る節さえあるようです。
昔は下総国の国府が置かれていた中心地だったので、もう少し千葉県民としてのプライドを抱いてもいい気もするのです。
内房といっても、行政区分もバラバラなので、ここではかずさ四市(袖ヶ浦、木更津、君津、富津)」としてみます。
内房エリアは古くから移住民を受け入れてきました。水上拠点や工業地帯として、東京や神奈川から流入してきた商人や労働者たちに気に入られるよう努力してきました。
こうして原住民と移住民との間に生まれたミックスが、現在の内房エリアに住み着いているのです。
内房民は都会民とのミックスなので、本物の南房総民と比べると、新しいもの好きです。当然オシャレには目がなく、買い物は千葉のパルコか、アクアラインを使って横浜まで出かけることが多い。
地元の『イオンモール富津』はサブ要員に過ぎず、自分たちを都会人だと勘違いしている人もいるほどです。
しかし意外にも、東京に行くことは少なく、その理由としてあまりに都会すぎて肌に合わないのです。内房線とか小湊鐵道しか知らない人にとっては、東京の地下鉄はドキドキするもの……。
道路だって車線が多すぎることも考えると、まだ横浜のほうが気楽なのです。
太平洋沿岸部の外房。厳密にいうと勝浦や鴨川は南房にあたります。鴨川あたりの住民は、外房の漁師的気質と南房の楽天気質の両方を備えており、ある意味ここは外房と南房との緩衝地帯です。
ここから一気にサーファーが増えて、他県から来た人に話を聞くと、鴨川も勝浦も外房という認識が強いものです。しかし、千葉県民からみれば、「THE 外房」とい ったら銚子のイメージが強いです。
その銚子の人たちをざっくばらんに表現すると「気性が荒い」に尽きます。外房エリアは基本的に漁師町。漁師は無愛想でケンカっ早いことで知られています。
なかでも銚子は、黒潮と親潮がぶつかる優れた漁場なので獲れない魚はないといわれていて、全国の水揚高ランキングでも2年連続トップを獲得したことも!
つまり、漁師が幅を利かせている土地でプライドも高いのです。 伊東や沼津に観光客を取られてしまうのは漁師たちの近寄りがたい雰囲気のせいかもしれません……。
ただ、同じ外房でも南下していくにつれて気質は穏やかになってきます。 九十九里では、漁というと地引網が主流です。大人数で行い、協調性が必要とされるので、銚子に比べれば漁師の人当たりは数段良くなります。
さらに九十九里平野という穀倉地帯があるので農民も多く、 銚子にはないのんびりした雰囲気がミックスされているのです。
しかし勝浦は例外で、外房の中でも銚子に次いで漁業が盛んです。額にタオルを巻いたコワモテの漁師と遭遇することもあります。それでもかなりの歴史を誇る『勝浦朝市』には観光客も多く、他県の人を温かく迎え入れる一面もあるところは、荒々しさ満点の銚子と違う部分です。
結局のところ、外房人が「気性が荒い」というのは漁師が大きく関係しています。漁港の衰退が著しく漁師の少ない鴨川が、外房を代表する観光都市になれたのもわかる気がするのです。
銚子のおかげで誤解を受けがちな外房民ですが、ほとんどの地域で共通していることが一つだけあります。それは「開発嫌い」ということです。
外房のショッピングモールと呼べるのはイオンくらいで、内房のような大型観光施設に乏しいです。都市として発展しているのは東金と鴨川くらいで、あとはどこへ行っても海、田畑か住宅が広がるばかり……。良くも悪くも田舎風景が全開です。
外房の原住民はこれまで住みついた漁師と先祖代々の土地を守り抜いてきた農民が多い。そのため、「おらが村」精神が根づいているのです。
その誇り高き土地を守るため、外房民は巨大開発を嫌い、安住思考も強い傾向にあります。それにつけ込んでいるのか、自然を愛する移住民が開発に反対する運動を起こすので、駅前や市街地が発展せず、個人商店も壊滅的です。
そもそも人口が少ないうえに、住民に反対されるとなれば事業者も強引に開発を進めません。一部の地元民には開発を望む声もありますが、しばらくは難しそうな気配がします。
南房民は南国気質たっぷりで、大らかで穏やかな人が多いといわれています。言葉の響きからは良いイメージしか浮かびませんが、あまりに大らかすぎて観光客は戸惑うこともあるそうです。
例えば、何気ない買い物では、店員さんがレジにいて別の作業をしているときに並んだとします。もし、東京であれば即座に手を止めて、小走りで来て対応してくれるでしょう。
しかし、南房民は明らかに気づいている様子でも、わざわざ「すいませーん!」と強めに言わないと接客してくれなかったりするのです。これは元安房国エリアである内房の一部や外房でも見かけられる光景です。
田舎あるあると呼べるかもしれませんが、南房民も時間に対してとてもかなり大ざっぱです。道を尋ねてどれくらい時間がかかるかを聞いて、「10分くらい」 と言われたら、その倍以上はかかると見ていいでしょう。
大らかだといわれる性格も、怒るポイン トがちょっとズレているからといえます。多少キツイことをいわれても全然気にしません。本人たちは厳しい意見だと受け止めてなかったりするのです
そのような南房民は、何に対してもコテコテの保守派です。駅前開発計画は持ち上がるはずもなく、余った土地に公共施設を誘致することもなく、「放置」というのが基本姿勢です。
似たような大らか気質を持っている内房民との決定的な違いは保守的な部分です。アクアラインができて大規模な宅地開発が進む内房とは違って、南房ではその類いの噂すら立てません。
都心への距離が離れているせいもありますが、どうやらそれだけではないらしい……。とあるNPO法人のアンケートによると、館山周辺では、移住者を好まない傾向が強く表れているのです。
過疎化の著しいエリアなので行政側も必死で移住者を呼び込んでいますが、住民からの協力が望 めないとあっては進まないのも仕方がないでしょう。
南房民の妙なプライドが移住を停滞させているのか少子高齢化は深刻で、南房総にいたっては4人に1人以上が65歳以上の高齢者!
地元の商業も衰退して、夜19時ともなれば飲食店もさっさと店じまい……。小腹が空いたら車でちょっと遠出することになるのです。
南房総も鋸南も県内の財政力指数は最低ランク。かろうじて館山が踏ん張っていますが、それも巨大工場が閉鎖したので、そろそろ厳しい状況になるとささやかれています。
それでも南房民はめげない! というよりも気にしない? 館山商店街のある店主も「大丈夫だ。なんとかなる!」の一点張りです。
南房随一のリゾートエリアの白浜では、冬の夜ともなると車一台見かけない状態で、最大の観光スポットである野島埼灯台周辺の飲食店街はランチタイムですら営業していない店もあります。
不況だと危機感を募らせる北西部の千葉都民とは違って世間ズレしていることは否めませんが、それでもハッピーと感じる原住民はメンタル強し!
北総エリアとは成田を中心とする千葉北部の真ん中、北総台地に広がる印西から香取までの海のないエリアを指しています。とはいえ内陸部は水とともに栄えてきたエリアで日本屈指の大河、利根川に面しているエリアです。
北総エリアは古代から経済、軍事上の重要拠点といわれ、江戸時代に利根川の東遷が行われると、新田開発が進んで一大穀倉地帯に発展します。
やがて水運が盛んになると、 佐原(現在の香取市)は江戸近郊で随一の規模を誇る商業都市となりました。利根川に面していない佐倉も1611年には江戸城の東方を固める諸大名が封ぜられ、城下町として栄えました。
つまり、北総エリアは江戸の繁栄とともに発展したのです。多くの江戸商人が出入りし、加えて江戸からの移住民も多かったので、その名残から今でも東京のことを「中央」と呼ぶ現地民もいるのです。
千葉人が東京の冠名を付けたがるのは、古くからの風習なのかもしれません。
千葉にあって江戸化していた北総エリアですが、やはり外房同様に住民の気質は荒いです。しかし、肩で風を切るようなツッパリ漁師とは違い、その主体は農民や商人で、お金や利権が絡んだドロ沼抗争に発展することも多かったといいます。
代表的な抗争といえば三里塚闘争(成田闘争)ですが、ちょっとしたバトルはあちこちで行われていました。
香取では商人同士のバトルが昔から繰り広げられており、かつては北総のヤンキーと茨城や内房のヤンキーの小競り合いも絶えなかったといいます。個人で戦う外房民と異なり、集団抗争が得意なのです。
門前町や城下町だったので、地元民同士の結びつきが強かったことにも起因しているのかもしれません。
北総民を一言で表すなら「旧千葉都民」となるかもしれません。中央からもたらされる利根川利権にあやかり、江戸から派遣された佐倉城主に守られ街を形成してきました。戦後の開拓事業で都内から移住してきた人も多いのです。
旧千葉都民の大きな特徴は、印西の千葉ニュータウンに住む新千葉都民と同様に、県の南部に興味がないことです。電車や車で遊びに行くのは東京方面で、県内で買い物をしても柏か松戸が主です。
県庁所在地の千葉には目もくれず、外房や南房は完全スルーという状況です。南下してもアクア ラインで方向転換し、向かうは横浜方面なのです。
さらに、車のナンバーが北部だけに多い(野田、柏、成田、 千葉、習志野)のは各都市の自己顕示欲の表れでしょう。実際、野田ナンバーと柏ナンバーは地域内でゴタゴタを巻き起こし、成田ナンバーも2006年に独立を果たしました。
血の気が多い旧千葉都民が生息する利根川周辺は南に下っていくと、きわめて牧歌的な農村風景が広がっています。
富里市は1本も鉄道が走っていない陸の孤島で、彼らは外に干渉されず淡々と農作物を作り続けています。閉鎖的な世界で北総民は、元々濃い気質をさらに濃縮し続けているのです。
千葉では、どれだけ移住民が増えようとも、まだまだ昔ながらのコミュニティが息づいています。例えば外房では今でも魚介類の物々交換があったり、安房はそもそも地域のつながりが強い地区でもあります。
そのような古き良き光景が繰り広げられる中で飛び交うのは、美しき房州弁です。住民が採れたての野菜を手に「これ、おいねっけどさぁ〜、おっぽるよりはましだっぺさぁ〜」といえば、「あんれ〜、わりぃよー、いつもよー」と返す。
安房地区生まれならすぐにわかりますが、北西部の千葉都民は理解不能に違いありません。房州弁エキスがたっぷりすぎて、もはや暗号のように映るでしょう。
標準語に翻訳すると、「これ、あんまりいいものじゃないけど、捨てるよりはましだから」「いつも悪いね〜」となります。
主に房州弁が話されているのは、おおよそ市原以南の内房・外房・南房エリア。 北総のあたりでもなまりのある言葉が聞かれますが、 こちらは茨城弁などと近いイントネーションで房州弁とは異なる方言です。
しかし、同じ房州弁でも地域差はあります。例えば、房州弁は「おらが(=私の)」がよく知られていますが、内房あたりではあまり聞き慣れません。同じ方言でも南房や外房で微妙にアクセントが違ったりもします。
内房のあたりは江戸との交易が盛んだったので、江戸弁などがミックスされているように感じます。交通網が不便な南房総〜鴨川周辺のエリアが、よりオリジナル房州弁だといえるのです。
今でも房州弁を日常的に使っているのは60代以上で、特にに70代以降は本気のネイティブです。一方で50代以下になると、使用頻度は下がります。
聞けば意味はわかるにしても「おらが言葉」の意識が薄く、標準語がメインのトルネイティブとなります。しかし、若い世代も怒ったときなどはつい房州弁になってしまうのだとか……。
若かりし頃、「かっくらす(=殴る)ぞ!ごらぁ〜!」と勝浦の暴走族に追われたときは、生きた心地がしなかったと語る人もいて、キレたときの房州弁は大阪弁とタメを張るぐらい響きが恐ろしい。勝浦民や銚子民を怒らせると、おいねぇよ〜。
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この記事は、結婚相談所の「ラポールアンカー千葉」が執筆いたしました。
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