住みたい街ランキングで上位にランクインしている八王子市。実際に住みたい街として人気があります。
一方、八王子の魅力がよくわからない人も多いのではないでしょうか。実は、八王子は好き嫌いがハッキリ分かれるといわれています。
この記事では、八王子市の住みやすい街、住みにくい街の理由について徹底解説いたします。
✔八王子の住みやすい街、住みにくい街
✔八王子の繁華街事情
✔八王子で安心して住むための街づくり
もくじ
八王子市は電車や高速道路といった交通網が発達した街です。都心はもちろん、横浜や湘南、富士山、長野、群馬のスキー場などにもアクセスしやすい地域となっています。通勤だけではなく、休日のレジャーにも出かけやすい街です。
そのような八王子の街にはどのような特徴があるのでしょうか? 具体的に見ていきましょう。
代表的な新規宅地として挙げられるのが「多摩ニュータウン」です。この多摩ニュータウンは八王子市だけでなく、多摩市、稲城市、町田市にまたがる巨大な住宅地であり、都心の過密化を緩和するために計画的に作られた新しい街です。
一方で、多摩ニュータウンの老朽化や魅力の薄まりと共に、新たなニュータウンが誕生しています。その一つが「みなみ野シティ」です。これは別名『八王子ニュータウン』とも呼ばれ、住宅地としての人気も高いです。
こうした巨大なニュータウンが八王子市の東南部に誕生したことによって、自然と増えていったのが新住民たちです。
彼らをこの節の新住民の代表として「ニュータウン族」と呼び、その生活様式や特徴を詳しく探っていきます。
一口にニュータウンといっても、多摩ニュータウンと八王子ニュータウンでは、その趣を異にします。できた年代が違うからです。
同じニュータウン族といっても世代がかなり違うだけに、住民気質も分けて考えるべきです。
まずは多摩ニュータウンについて見ていきましょう。そもそも多摩ニュータウンができたのは、昭和30年代の東京都心における深刻な土地・住宅事情に端を発しています。
当時の東京都心は人口の劇的な増加によって、深刻な住宅不足に陥り、地価も大幅に上昇しました。そのため都心は無秩序に開発され、区画整理も何もない状況となり、街がグチャグチャになっていました。
そうした中で、乱開発の防止に加えて安定した住宅供給を目指す法律「新住宅市街地開発法」が1963年に制定されました。
この法律が適用されて生まれた街が、多摩ニュータウンなのです。
八王子ニュータウンは、1965年に開発が決定され、都と日本住宅公団(独立行政法人都市再生機構)と東京都住宅供給会社が共同で多摩丘陵の広大な土地を買い上げて、そこに新たな市街地を形成しようとしました。
こうして想定人口40万人という巨大ニュータウン事業がスタートしました。
1971年には、多摩市の諏訪・永山地区から入居が始まり、その時に分譲された住宅戸数は1700戸。間取りも1DKから3DKの比較的廉価な物件でした。
まさに当時、高度成長期の「一億総中流化」のスローガンを推し進めたものでした。実際に、「マイホーム」を夢見る都心の低・中所得者層が、当地に大勢やってきたのです。
こうした公主導の多摩ニュータウン事業ですが、昭和60年代前半までは順風満帆に見えました。
例えば、八王子市部にあたる南大沢地区では、「四季の丘」という宅地が、1989年に住宅分譲倍率4706倍を記録して世間を騒がせました。
四季の丘は、多摩ニュータウンでは珍しい一戸建ての分譲住宅で、建物は高規格で、敷地面積は200平米前後、価格は5500万円台から7600万円台と、バブル期にしては破格でした。そのため、都心の中所得ファミリー層が、我先にと申し込んだのです。
ところが、バブルの崩壊とそれ以後の不況、都心の地価下落による都心回帰の傾向もあって、多摩ニュータウンの入居希望者は減り、事業自体が減速していきました。
また、入居者数の減少に加え、少子化の傾向も重なって、第一世代の子どもたちが巣立って以降、学校の廃校も目立ちました。
こうした紆余曲折を経た多摩ニュータウンに住むニュータウン族は、当地が開発されてから比較的長い年月が経っているため、近年住み始めた住民よりも、長年住んでいる住民の割合が高いです。
その住民気質は、根が中流のため特に偉ぶることもなく、自然体の人が多いのが特徴です。
(多摩丘陵でも南側の田園都市線沿線民となると、必要以上に背伸びをしているが!)
また、都心からの流入者が多いため、相互干渉が多い自治会や町内会を基本的に好まないものの、近年では多摩ニュータウンへの危機感を感じた住民たちが、新たなまちづくり(再生)のためにNPOや自治会活動を積極的に行っています。
多摩ニュータウン族は、土着民よりも、地域に対しての思い入れが強いといえるかもしれません。
さて、一方の「八王子ニュータウン族」だ。こちらのニュータウンは1997年に街開きされたが、多摩ニュータウンが斜陽なのに対して、日の出の勢いが感じられます。
住宅を売り出せば、すぐに完売するという人気ぶりです。
(価格は決して安くないが!)
住民も現世代から住み始めた若いファミリー層が多いのが特徴です。著年ファミリー層を中心にしたこの八王子ニュータウン族。住宅価格を考えれば、住民の所得は決して低くないですが、その一家の長は多摩ニュータウン族と比べて都内で働いている人も少なく、仕事に対して特にガツガツしている様子もありません。
八王子近辺で働いている人が多いので、朝晩のラッシュに揺られているような生活をしておらず、仕事中心というよりも、のんびりと趣味などを満喫している人が多い様子です。
また、「みなみ野ネーゼ」と呼ぶべきか、多摩エリアだけに「タマダム」と呼ぶべきか、八王子ニュータウン族の奥様たちはとてもに教育熱心です。
さらに同じマダムたちとの付き合いを非常に大事にして、普段着がナチュラルであると同時に、新興の人気住宅地に見られる奥様の生態そのものを具現化しています。
多摩と八王子のニュータウン。双方の住民気質は、多摩は行動的で(近年は)ちょっとトゲトゲしいようです。
一方、八王子はのんびりしていて余裕がある。違いはありますが、多摩ニュータウン族にもおそらく余裕があった時代は存在していました。
ニュータウン族でも気質の違いが生まれるのは、彼らが住むニュータウン自体の価値の変動が要因になっているのかもしれません。
再開発によって南口に注目が集まり、さらにはそごうの撤退など、北口界隈には芳しくない話題が絶えません。
しかし、それでもやはり北口は市内最大級の繁華街であり、店舗も人も南口に比べて断然多いのが特徴です。
歩行者専用道路である西放射線ユーロードには、飲食店、美容室、コンビニ、そして多くの若者向けショップが軒を連ねています。学生を中心に、サラリーマン、ギャル、黒服のお兄さんたち⋯⋯と、夜になると特定の人々が増える傾向があります。
昼間は主婦らしい女性や家族連れも見受けられますが、夕方を過ぎるとネオンの光に包まれ、24時間営業の飲食チェーンや居酒屋、バーが集まります。
実際、市内の飲食店数では、中町、三崎町の順にほぼ同率で上位を争っており、JR八王子駅前の旭町や京王八王子駅周辺の横山町もそれに次ぐ勢いを見せています。
特に三崎町や中町は、八王子市民にとっては有名なオトナの街として知られています。ドンキの前の道を左側に入った雑居ビルの看板には、それっぽい店の名前が多数並んでいて、黒いスーツを着て耳にイヤホンを付けたお兄さんたちが、あちこち立っています。
片側の道路には、客待ちのタクシーが列をなしている(※始発くらいになると盛り髪のオネエチャンたちが次々と乗り込んでいく)のも、いかにも歓楽街という雰囲気です。
西の歌舞伎町とでも言うべきか、犬も歩けばキャッチに当たる感じです。実際、終電が無くなってから、この界隈を歩こうとすると、おそらく10歩進めば1回は声をかけられます。目の前で断っていたのを見ても、彼らには関係なし! のご様子です。
あちこちで声をかけられるので、スターにでもなったような気分になって、ついついボッタくられたりするのです。
しかし、市民気取りで裏路地にフラフラと入ってみると、いきなり街が様変わりします。さっきまでいた呑んだくれのサラリーマンや、香水臭をふりまくオネエチャンたちはどこにもいません。
見える灯りはネオンではなく、スナックの看板が火の玉みたいにぼんやりと浮かんでいるだけ……。
表通りは「ウザい」だけですが、ここではドアから漏れてくるオッサンたちの演歌にホッと安心させられます。
この辺りは日曜ともなれば、スナックも閉まっていて、住宅らしき建物にも電気は灯っていません。オレンジ色の街灯に照らされる廃墟などもあって、幽霊でも出てきそうな不気味さも漂っています。
そもそも日曜は18時を過ぎると、三崎町や中町近辺ですら人がまばら。あれだけいたキャッチもタクシーも、神隠しにでもあったかのように忽然と姿を消します。
当然開いている店もチェーン店だけになり、健全な個人経営店はシャッターが下りているので、まるでゴーストタウンさながらの静けさが漂うことに……。
さて、この地域では、日曜日のような人が少ない日には、盗難やひったくりが増加する傾向があります。
また、ゴーストタウンの中心地である中町近辺は盛り場として知られていますが、それゆえにわりと怖い方々(※三崎町には地元で有名な一家が事務所を構えている)も多く見られます。
粗暴犯も多く、酔っぱらいのケンカ程度ならまだしも、時折身の毛もよだつような事件が発生しています。地元のバーで働いているオネエチャンの話によると、「コンビニのゴミ箱に人が入っていたこともあるみたい。でも無事だったから安心してね(笑)」とのこと……。
この界隈は、もはや小市民にとっては心霊スポットよりもホットゾーンとも言えます。そのため、日曜日になると、平日よりもパトカーを頻繁に見かけることになります。
犯罪が減少し、治安が向上したと言われる八王子市。今や市内の平和な雰囲気も広まっていますが、それは市街地だけの話ではありません。
特に北口エリアにおいては、女性が夜間に一人で歩くことは依然として少々危険かもしれません(※南口でも閑静な住宅街エリアは夜道が暗くて逆に危険ですが)。
治安の悪さが指摘される北口エリアの中でも、三崎町あたりは依然としてアウトローが多く、ホットゾーンとされています。
周辺地域では発砲事件や不審者による公然わいせつ事件、盗難やひったくりも頻繁に発生しています。しかし、繁華街での客引きに関しては、八王子市が2014年6月から「生活の安全・安心に関する条例」を改正し、客引きやスカウト行為に対する規制を強化しました。
居酒屋、カラオケ店、風俗店、キャバクラ、ホストクラブなどでの客引き行為が禁止されることとなりました。八王子市では市民指導員(客引き行為等防止指導員)による指導を行い、地域全体で客引きを抑制する取り組みを進めています。
しかし、違法な客引き行為を行う風俗店関係者の逮捕が後を絶たない一方で、八王子市は客引きの撲滅に真摯な姿勢を示しており、それが注意喚起ポスターにも表れています。
一見すると「仕事募集」と思える貼り紙のようなポスターが、その注意喚起の手段として用いられています。上段には「スタッフ大募集」というキャッチコピーが置かれ、スカウトマンや客引きを募集しているように見えます。
実は、スカウトマンや客引きの条件として、「資格:逮捕されたい人」「給与:完全出来高、不安定(※辞めるときには違約金!)」「休日:なし(※市役所から呼び出しがあります)」という刺激的でウィットに富んだ文言が並んでいます。
さらには「氏名公表!罰金!前科!ハイリスク!」「八王子では逮捕されます!」という迫力のあるキャッチも登場して、強烈なインパクトを与えています。
笑いを誘う一方で、そのセンスの良さからは、外国人の客引きにも通用するのかどうか、疑問が投げかけられるでしょう。
長房団地のような、老朽化した公営団地は不良の温床とも言われています。団地住民の主流は低所得者層であり、そのような環境で成長した若者には自然に反抗心が芽生え、それがヤンキー文化へと展開していくとされています。
一方で、八王子の南部に広がる多摩ニュータウンでも、初期の開発地域が老朽化しているので、やはりヤンキーが存在するのは当然のことです。
しかし、元々の家族の経済的背景が中所得者層なので、北部ヤンキーのような鋭利な雰囲気は多摩ニュータウン内ではやや控えめです。
また、巨大な区画整理が行われて整備された場所(※道路が整備されている場所)は、多摩ニュータウン内の一部であり、ヤンキーたちにとって派手なアピールの場となっています。
ここでは、既に稀少な存在となった単車を駆るヤンキー(※サブカルチャー的なグループとはやや異なる)が現れることもあります。というのも、夜間の取り締まりが少ないためです。
こうした監視能力の不足に加え、人通りや明かりが少ない多摩ニュータウンのような場所は、近年、「郊外型犯罪」の温床とも言われています
住民同士のつながりが希薄で、隣人が何をしているのかわからない社会がそこには形成されているとされ、一見普通の少年少女たちが凶悪な犯罪に走るということもあるようです。
多摩ニュータウンは多摩市、稲城市、町田市、八王子市で構成されています。それぞれの市の犯罪の発生件数は年々減少していますが、犯罪の「数が少ないから良い」とは一概には言えません。
多摩ニュータウンのような画一化されたコミュニティ内は、八王子駅周辺のような直線的で表立った恐怖はないものの、恐怖がステルス的で、何が起こるかわからない状況が存在するのです。
一方、同じニュータウンであっても、住民が特に治安の悪さを感じていないとされる八王子ニュータウンにも治安上の不安は存在します。
高価格の一戸建て中心の住宅街であるなら、最も注意すべきは侵入窃盗です。みなみ野シティ方面では侵入窃盗の発生は少なかったものの、片倉周辺ではそこそこの数の侵入窃盗が確認されました。
その要因として、みなみ野シティほど街が整然としていないため、泥棒が潜む余地があるとも考えられます。しかし、簡単に街の造りを変えられないので、住民は自衛意識を強化する必要があります。
八王子に限らず、どの街でも治安の良し悪しは確実に存在し、周囲が言うほど八王子市民は神経質になっているわけではありません。土着民の大半は、立川や町田の方がずっと治安が悪いと思っているのですから……。
多摩ニュータウン周辺の住民の生態は極めて複雑で奇妙な側面があります。その根本的な要因は、ほとんどが他地域からの流入者であることに起因します。
特に八王子市内は、多摩ニュータウンの開発以前からの農村地域や新しい「みなみ野シティ」などが存在し、地域の多様性が顕著です。ここには学生も含まれており、様々な思惑が交錯しています。
多摩ニュータウンに住む人々は、地域愛を大切にして、NP0法人も登録されており、その中心には、住んでいる年数が10〜20年の住民がいます。
その住民は30代前半に移住してきたインテリ層であり、元々は公務員や大学教授といった知識人が多いです。特に「住民主導」や「まちづくり」といった言葉に強い関心を寄せ、バーやスナックなどで話をすると、論理的な意見を1時間にわたって語ることもあります。
しかし、これらのインテリ層に対して興味をもつのがアッパー志向の主婦層、「タマダム」です。南大沢を中心に住んでおり、子供が幼稚園や小学校に通っている年代が多いです。
彼女たちは「AS KNOW AS」や「LOWRYS FARM」といったブランドの服を好み、教育にも熱心です。
喫茶店で会話すると、教育の話題が絶えず、「あの先生は良くない」「どの塾がいいか」といった内容です。こうした教育への熱意が時折軋轢を生むこともあります。
タマダムたちは、団地住民を見下す傾向があり、小学校の再編問題などで「ウチの子供と団地の子供を一緒にしないでほしい」という要望も出てきたりするようです。
それでも、タマダムたちの共通の関心事が、地域イベントや会合を頻繁に開催する一因となり、地域社会の健全な発展に寄与していることは確かです。
一方、昔からの住民は多摩丘陵の自然を守る「防人」のような存在として活動しています。特に堀之内周辺の住民は、都や公団との争いを経て、地域と強い結びつきを持つNP0と関係が深いです。
また、流入民とは異なる「講」と呼ばれる古くからのコミュニティも存在し、自分のペースを大切にしています。
最後に学生は、基本的に地方出身者であり、遊び場は主に立川や新宿が中心です。地域への興味は薄く、地域イベントのお知らせはゴミ箱行きが多いです。
問題があるとすれば、車やバイク、麻雀の騒音、喫煙の問題がありますが、お互いどちらでも構わない存在とされています。
ニュータウン族(多摩)に「どこによく行きますか?」と質問すると、おそらく過半数は必ず「南大沢です」と答えるでしょう。
南大沢駅前は、美しいタイルで舗装された通路、手入れの行き届いた植木、小ぎれいなアーケード、現代的なデザインの建物で、初見では新宿南口のサザンテラスが思い出される雰囲気です。
さらに象徴的なのが「三井アウトレットパーク多摩南大沢」の存在です。人気ブランドがリーズナブルな価格で購入できることから終日、大いに賑わっています。
改札を出てすぐにある「TOHOシネマズ」もあり、大型パチンコ店の騒がしさもありません。今や、まさに多摩センからニュータウンの覇権を奪おうとするような活気を持っています。
駅前のオシャレな高層マンションも、主婦にとって理想的な住まいといえるでしょう。警察署もあって治安の向上もしっかりと進んでいます。今、もっともエネルギッシュな街と言えるでしょう。
このエリアにおける問題の一つは建築物です。タマダムたちが住む新築高層マンションは、丈夫であると謳われています。
その一方で都営・公団住宅は、惨憺たる状況にあります。この地域の入居開始は1983年で、住宅建設のピークは1990年代頃です。
この時期に建てられたマンションやアパートが多くあります。資金が不足していた施工業者が多かったため、欠陥住宅も増えていました。
ベルコリーヌ南大沢は1990年に公団が分譲した物件で、42棟中の20棟が建て替えられる事態になるなど、欠陥住宅の典型例としてマスコミで取り上げられました。
しかし、これは問題の一部に過ぎません。かつて南大沢の公団住宅に10年ほど住んでいた女性はこう語っています。
「私は7階に住んでいたことがありますが、10階の音が聞こえてくることがありました。当時、うちには赤ちゃんもいて、そのうるささで苦情をよく受けたことを覚えていますが、本当にうるさかったのは、2階下の家の赤ちゃんでした」
女性によれば、このマンションだけでなく、近隣住民の中にも同様の悩みを抱えている人が多いようです。中には、隣の部屋に殴った壁が突き抜けたという話もあるそうです……。
貸しマンションという性質や地域との協力不足も影響し、大きな問題には発展しませんでした。今でもそのマンションには人々が住んでいるようです。
高層分譲マンションと貸し住宅の格差は、生活の差としてそのまま表れています。タマダムたちが住む駅前周辺や北側は、徒歩で何でも手に入る環境ですが、南部に近い地域は学校や公園が目立ち、買い物ができる場所はミニストップやスーパー三和といった程度です。
道路には街灯が少なく、駅前の派手な電飾が皮肉めいて映ります。このような厳しい生活を送る住民たちが駅前に行くときに利用する自転車も、盗難に遭いやすいと言われています。
(主犯格は某大学の学生との噂あり……)
この南大沢住民の月とスッポン具合。なんとかならないのでしょうか……。
バブル絶頂期に建設された公団住宅「ベルコリーヌ南大沢」が欠陥住宅として判明し、建て替え事業が開始されました。
UR(都市再生機構)は600億円以上の莫大な資金を投じて、建て替え工事を行い、その完了は2014年となりました。欠陥の発覚から約10年の歳月が経ち、その間に住民の約3分の1が交渉に疲れ果て、この団地を去ったと言われています。
分譲価格は5000万円から7000万円とも言われ、競争率が80倍という厳しい条件を乗り越え、マイホームの夢を手に入れた人々のショックは大きかったことでしょう。実にやるせない……。
話題性のある南大沢ですが、地元住民の街に対する評価は決して悪くありません。駅前にはアウトレットやイトーヨーカドーなど、必要なものが揃っており、郵便局や図書館、市役所の出張所も駅ビルに近接しています。
高速バスや市内バス、タクシーも利用できて、とても便利です。美しい外観も、特に主婦たちに好評です。
周囲には緑が多く、歩道と車道が分離された遊歩道も整備されており、子育てには安心な環境です。
もちろん、駅周辺と南部との環境差は確かに存在しますが、そのような環境を受け入れて住むのであれば、特に不便を感じることはないと言えるでしょう。
(学生による騒がしい駅前よりも良いという声もあり)
しかし、人口増加に伴い、朝の通勤・通学時の電車は混雑しており、座ることが難しい状況が続いています。また、サラリーマンの中には「新しい街なので、昔ながらの風情のある飲食店が少なく、チェーン店ばかりだ」と不満を抱く人もいます。
南大沢のインフラに関してもう一つ注目すべき点があります。電車で5分ほどの距離にある橋本駅付近には、リニア中央新幹線の駅(神奈川県駅)が建設中です。
リニア中央新幹線は現在、品川から名古屋までを結ぶ路線として2027年の開業を目指しています。名古屋方面へ頻繁に出張する南大沢の住人にとっては朗報と言えるでしょう。
どこの地区も完全に住宅地へと変わってしまった多摩ニュータウン地域ですが、農村系の土着民にとって最後の楽園となっているのが堀之内地区です。
駅前から南はほとんど開発され、郊外へと姿を変えてしまいましたが、北は野猿街道を越えて北八幡寺芝トンネルを抜けると、まるで別世界のようです。
車道の右側は広大な緑地(※空き地)で、都下とは思えないほどの牧場まで見渡せます。他の地区にも空き地はありますが、堀之内の場合は手つかずのまま残っているというのが魅力です。
この周辺だけが開発区域でなかったわけではありません。堀之内は、開発に対する反対運動が特に激しかった地域です。
多摩ニュータウンの開発に際して、公団は新住宅市街地開発法という法律を使用し、土地を買収しました。この法律は、土地買収に応じない場合、強制収用されるという規定を持っており、テレビ一台で畑を売却したという話さえあります。
当時のテレビ一台の価格は約20万円で、大卒初任給が2万5000円程度でした。このような価格で土地が買い上げられてしまいました。公団はその勢いで、手段を選ばず土地を収用していったとされています。
このような状況で土地を奪われると、新しい事業を始める資金が不足し、生活も困難になります。噂を聞いた堀之内地区の酪農家(※当時は11軒ありましたが、現在は数軒)は、不安に駆られたでしょう。
牧場は土地がなければ存在できず、酪農を続けるには移住するしか方法がありません。彼らは請願や陳情を提出し、当時の都知事に「農村保全」を認めさせようとしましたが、公団は裏で様々な策略を巡らせて抵抗を削ぐ動きを見せました。
しかし、反対勢力は収束するどころか、土地を奪われた人々も運動に参加し、「騙された」と怒りをあらわにしました。
この抵抗勢力は次第に増加し、開発は進まない結果となりました。2009年、都から「里山保全地域」に指定され、今では安心してのんびりと農村暮らしが楽しめるようになったのです。
公団に対する反対運動で唯一勝ち残った地域は、実は元々旧由木村の住民です。八王子の合併にも最後まで抵抗した勢力であり、日野への編入すら懐疑的だったようで、由木という地域に強い愛着を持っています。
単なる八王子の土着民やニュータウンの住民とは異なる性格を持っています。彼らは「ユギ・ファーマーズクラブ」という名前の団体を立ち上げ、公団との争いに参加しました。
この名前は彼らの由木村民としての誇りを示すものであり(※当時はもう八王子の一部ですが)、その高いプライドを表しています。
この団体は後に内部で対立が生じ分裂しますが、今もなおその枝分かれで最も大きな力を持つ「里山農業クラブ」のリーダーは、誇り高い堀之内の農民です。
多摩ニュータウンにあるNPOの中核メンバーは、合併問題や開発反対運動の先頭に立った農家の子孫が中心です。実際に、堀之内民とインテリ民が連携し、強力なパートナーシップを築いています。
こうして堀之内は、開発や公団という言葉に対する嫌悪感を抱く土着民が多く住む、牧歌的でレジスタンスな地域となりました。
京王堀之内駅前の「偽ガウディ」のデザインは、見る価値のある名所です。その奥にある住宅群、「ヴェルデ秋葉台」は、大規模なコーポラディブハウス(※入居希望者が集まって組合を結成し、土地取得から建設までを行う集合住宅)として人気の物件となっています。
牧歌的な堀之内地区でも、ヴェルデ秋葉台のように駅周辺の住宅開発は進んでいますが、駅から離れたエリアは未開発のままです。
しかし、ついに駅の北東部の丘陵地帯に大規模な住宅街(総戸数681戸)が造成されました。それが「東京森都心多摩ニュータウン東山」で、多摩ニュータウン最後の大規模開発と言われています。
この街は積水ハウスと大和ハウス工業の共同開発によって生まれました。周囲には多摩丘陵の自然が残されており、「人と自然の共生」がコンセプトとなっています。
電柱が地下化され、広々とした住環境(※1区画は185平米以上で駐車スペースは2台分)が提供されています。この地区には自然に惹かれて移住してきた人々が多く住んでおり、自然とコミュニティが築かれていると言えるでしょう。
八王子の新ニュータウン、「八王子みなみ野シティ」。八王子市はここを「八王子ニュータウン」と称していますが、住民は「八王子ニュータウン」と聞いても「それって何?」と、まったくピンときていない様子……。
この地域の住民にとって、ニュータウンはあくまで「多摩」。タウンではなく「シティ」と呼んでほしいという、みなみ野の住人たちのこだわりが感じられます。
そもそも、八王子みなみ野シティは、独立行政法人都市再生機構を主体とした開発事業によって、1997年に開かれました。
この地区は「みなみ野」「七国」「宇津貫」「兵衛」「西片倉」というエリアに分かれており、無機質な街づくりではなく、自然と調和した暮らしを目指しています。
八王子でも、ピカピカの「シティ」は住宅需要が非常に高い地域です。みなみ野開発地区は50坪以上の広さの家しか建てられず、広々とした庭を持つ住宅を建てることが求められています。
そのため、住宅価格は最低でも5,000万円レベルです。それでも家が市場に出れば、短時間で契約が成立するほどの需要があります。
一戸建てが難しい人々でも、この地域に住みたいという人々が多く、マンションの価格も堅調です。建築業者の中には、かなりの住宅バブルを享受しているようです。
(この地域には入れる業者が限られている)
さらに、この街のコンセプトである「自然との共生」により、住民との交流が盛んです。土着民である農家の主導による自然との触れ合いの体験から、町内会でも新住民と土着民が協力して交流を深める取り組みが行われています。
ここは本当に八王子なのでしょうか?
と八王子らしさと多摩ニュータウンの活気を兼ね備え、まさに異彩を放つみなみ野シティ。何か課題点はあるのでしょうか?
例えば、一部の人々は「家を高い値段で購入したのに坂が多い」と不満を漏らしています。しかし、急坂が多い多摩ニュータウンの住人にとっては、「平地じゃない!」と笑われるでしょう。
さらに、裕福な住人たちは電動自転車で軽々と移動しています。人力で坂道を乗り越え、足腰を鍛えた多摩ニュータウンの住人にとっては、その程度のことは問題ないようです。
プチブルな地位なので、教育熱はヒートアップ! 地元の七国小学校、みなみ野小学校、みなみ野君田小学校は、八王子でもトップクラスの成績を収めており、これらの学校に子供を通わせたいという家族が多いです。
しかし、急速な人口増加により学区の変更が行われ、隣接の学区になるケースもあります。中学校に関しては学区外通学も認められるので、一時的に多くの生徒が通います。
異なる地域出身の生徒たちが集まるので、放課後に友達と遊ぶことが難しい状況や、いじめの多様化などの課題も存在しているのです。
さて、多摩地域では立川まで遠くはありませんが、実際に「住みたい街」を探している人たちの中で、八王子が秘かに注目されています。
土地を所有する住民にとっては、その楽園の中にベッドタウンが築かれ、住民全体がまるで混声合唱団のような見事なハーモニーを奏でているみなみ野のような地域もありますが、中心市街地のように土着民の声だけがやけに響く、バランスが悪い地域も存在します。
まるで「異種格闘技戦」のような八王子ですが、果たして実際にはどのように暮らしやすいのでしょうか。
都心の新宿までのアクセスは多少時間がかかりますが、JRと京王の2つの路線が選べるため、アクセスの点は良好です。
また、住居を借りたり購入しても、都心に比べるとかなりリーズナブルな価格帯であることも魅力です。
さらに、開発が進んでいても、街全体がコンクリートジャングルというわけではなく、自然が豊富に残っている地域もあります。これは特に子育て中のファミリーにとっては嬉しい点でしょう。時折話題に上る関東直下型地震などの地震への耐性も、魅力のひとつと言えるでしょう。
こうしてみると、八王子は「一時滞在」と「定住」、どちらにしても悪くない街と言えるでしょう。そのように感じるのは、暮らしの拠点とするには魅力的に思える反面、個性的な場所であり、何かしらのアクが強いという一因もあるのかもしれません。
独自の人々が形成する環境とも言えますし、保守的で地方的な雰囲気が漂うともいえます。とにかく、楽しく暮らすためには地元の人々と上手く交わる必要があり、それに戸惑いつつも取り組むことが求められるのです。
実際、八王子ライフに好き嫌いがハッキリと現れるというのは、データからも読み取れます。市政世論調査によると、定住意向のアンケートに対して90%以上の回答者が「ずっと住み続けたい」か「当分は住み続けたい」という、「住み続けたい」と回答しています。
これに基づけば、「好き嫌いがハッキリと分かれている街」という主張は、疑う余地のない事実と言えるかもしれませんが、この結果からすぐに「八王子は広く支持される街だ」と断じるのは早計です。
アンケートが市によって行われたことを考え置いて、回答者の属性を見てみましょう。アンケートに回答した人々の割合を見てみると、20代の回答者が少なく、地域別の割合では中央・西部地域の住民が多いことがわかります。
そして、なんと言っても、居住年数が10年以上、つまり八王子に住み慣れた人々や土着民が80%以上を占めています。
つまり、このアンケートは主に八王子に慣れ親しんだ人々や土着民を対象としたものであり、そのため定住意識が非常に高くなるのは自然の成り行きです。
この点を踏まえると、「このアンケートは意味がないのでは?」と思われるかもしれません。
しかし、アンケート内で「市外に移りたい」と回答した人々の割合を見ると、住み始めて間もない若年層ほど高い傾向にあります。つまり、初めて八王子に住む人々にとっては、八王子が定住したいかどうか迷う街であることがわかります。
さらに、地域別に見てみると意外なことに、多くの土着民が住む北部地域で「市外に移りたい」と回答した人々の割合が他の地域よりも高かったです。
北部地域は元々定住志向の薄い学生が多いことから、こうした数値になった可能性も考えられます。どの地域に住むにしても、初めての環境では不安が生じ、長く住むかどうか迷うことは自然のことです。
どの地域にもいえますが、「住んでみたら魅力がなかった」という経験をした人々も多くいます。八王子で市外に移り住みたいと考える人々の理由を見ると、「地域の特徴が強すぎる」という要因も驚くべきことではないのです。
まず、八王子に定住したい側の理由として最も多いのは「緑が多く自然に恵まれている」です
(なんと約60%!)
自然が財産だというのに、その象徴的存在である高尾山を開発したのか疑問も残りますが、観光資源として大活躍しているので、結果オーライというところでしょう。
その他の理由としては、「交通の便が良い」「買い物が便利」など、生活する上での利点が多いことが、八王子に定住したい要因として挙げられています。
一方で、市外に移り住みたい人々の理由としては、「交通の便が悪い」「買い物が不便」などが挙げられます。
(う〜ん、人によって見方はいろいろ……)
それ以外には、「街に愛着がない」「街の雰囲気が嫌い」「隣近所と馴染めない」など、これらを理由に八王子に定住したくないと考えた人々が半分以上いました。これによって、八王子がアクが強い場所であることがよく理解できるでしょう。
結論として、「八王子の住みやすさ」はハマる人は本当にハマるが、嫌いな人は大嫌いという傾向が強いようです。
食べ物でたとえるなら、納豆やくさや、鮒寿司のようなものかもしれませんね……。
「八王子市は住みやすい街?八王子は好き嫌いが分かれる街の特徴」はいかがでしたか?
東京都内でありながら23区内ほど混雑しておらず、のどかな雰囲気が漂う素敵なまち八王子。
八王子は、公共交通機関を使うにも車を使うにも便利であり、一人暮らしの人にとってもファミリー層にとっても住みやすさが実感できる街です。
不便なのは避けたいものの、人の多すぎるエリアには住みたくないと考えている人にも、八王子はおすすめです。八王子のメリットを知って、住むことを考えてみてはいかがでしょうか。
この記事はラポールアンカー八王子が執筆いたしました。
1993年10月28日生まれ。現住所、神奈川県横浜市。
関東地方で最高峰の頼もしさを発揮している超フレンドリーな婚活アドバイザー。
家族や友人からは「鋼のメンタルで常に飄々としている」との声もあり、その実力はお墨付き。
夫と息子二人と幸せな日々を過ごしている。
尊敬する人は母。
小さい頃からスポーツや体を動かす事が好きで、ソフトボールやジムで筋トレ、スキューバダイビングが趣味の体力派。
毎週安定した成婚実績、成婚までの平均期間「3.2ヶ月」
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とても優しい仲人さんに担当していただきました。無事に成婚までたどりつけました。本当にありがとうございました。