半ば強制的に5つの国を合併してできた兵庫県は、日本のあらゆる要素を併せ持つ「日本の縮図」とも呼ばれています。文化も風土も言語でさえも異なる激しい地域差ゆえに、同じ県民でありながら何を話しているのかわからず、ちょっとした文化の違いから誤解も生じがちです。
しかしそれは、旧制の古い文化に左右されない神戸が、他地域への関心を払わず、自分の地位向上だけを考えてきたからでもあります。そのため他地域との理解が進まず、溝ばかり深まっていったのです。
それでは、兵庫県にはどのような特色があり、地域住民はどのような特徴を持っているのでしょうか?
この記事では、兵庫県の地域間の意識差を俯瞰して見ながら、兵庫県のイメージや現状を多角的に分析いたします。
✔文化が異なる兵庫の特徴
✔神戸の影響力
✔兵庫県のイメージ
もくじ
兵庫県はよく「日本の縮図」といわれます。これは旧国郡制度の摂津、播磨、但馬、丹波、淡路の5つの国が合併して成立し、かつ日本における気候や都市形態のあらゆる面が凝縮されているからです。
現在の行政区分もこの5つの国をもとに細分化されています。但馬、丹波、淡路は旧制とほぼ同じですが、播磨は東西南北でエリアで分かれ、摂津は神戸とその他に分けられています。
しかし摂津に関して、神戸以外のその他を摂津地域としてもいいですが、地元民に「摂津」はあまり馴染みがなく、「阪神」のほうが広く認知されているのではないでしょうか。
さらに細かくいうと、尼崎、西宮、芦屋が阪神南地域で、それ以外が阪神北地域となりますが、いずれもエリアが狭く、「阪神地域」とひとまとめにされてます。
こうした旧5国の寄せ集めといってもいい兵庫県では、各地域で地域区分に関係なく、住民気質がかなり異なります。さらに地域区分に関係なく、神戸の影響力が及ぶ範囲とそうでない範囲で、
気質が異なったりするので余計に難しい……。
その神戸の影響力が拡大していったのは、市制が施行された1889年以降。今でこそ単独で地域
分けされている神戸は、もともと狭い地方都市でした。
ところが、貿易好調の波に乗って人が流入し、周辺自治体と次々に合併して巨大化しました。戦前はおおむね東西に市域を伸ばし、戦後に三田に近い北部を編入します。
しかし、神戸が吸収合併を繰り返した結果、北区と西区の「山側」住民は、臨海部の「浜側」住民に「あそこは神戸じゃない!」と、ツッコまれることとなり、市内にちょっとした地域ヒエラルキーも生じました。
しかし、たとえ山側民であっても、神戸民は神戸民です。京都などと違い、地域による差別感は若干薄いのです。
神戸に近い阪神地域の各街は、セレブな芦屋、コテコテの大阪臭漂う尼崎、華やかな宝塚など、それぞれが強い個性を持っています。
住民も地元愛が強く、神戸を意識することは少ない(※同一視されることを嫌うようだ)です。逆に神戸に依存しているのは、国違いの東・北播磨地域です。
というのも、東播磨の明石、加古川、高砂や北播磨の三木、小野は、神戸が独自に決めている「神戸大都市圏」に含まれ、同じ播磨の西播磨より、断然神戸との結びつきが強いです。
そのためここでは出身地を聞かれると、「神戸のあたり」と答える住民も多いものです。
一方、西・中播磨地域はどうでしょうか。中心都市の姫路や赤穂は歴史と伝統に彩られた街です。特に姫路は、但馬に向かう播但連絡道路や姫路ジャンクションなど播磨と他地域を繋ぐ要衝にあり、まさしく播磨の中心と呼ぶにふさわしい場所です。
ゆえに播磨の住民のプライドも高く(自虐的一面もある!)、出身地も素直に「姫路」と答えます。また、西播磨の場合は、佐用などかつての美作国の地域を含んでいるので、岡山県との繋がりも強く、住民に兵庫県(神戸と同じ県)民という意識が薄かったりするのです。
対して淡路や但馬は、それぞれが独自の言葉や文化を育んできた「独立国家」ですが、道の繋がりという点では、神戸の支配下にあると言っていいかもしれません。
しかし、同じく独立性の強い丹波は、兵庫というより、むしろ京都の影響が濃く、住民が県都・神戸に目もくれない姿勢は潔さを感じます。
まとめると、どの地域も神戸意識の有無に多少の差はあるものの、共通点は「兵庫県」
という意識が強くないことではないでしょうか。
「日本の縮図」とは言いますが、ここまで県民意識がない県も本当に珍しいでしょう。
県内における神戸の影響力は絶大です。政治・経済の中心地というのはもとより、近年は右肩下がりの人口ですが、なんやかんや言っても150万人都市です。
港街はハイカラでオシャレであり、元町や三宮などの繁華街も賑わっています。周辺都市の住
民が羨むのも無理はありません。
ネーミング的には賛否ありますが、それでも「神戸っ子」を名乗ってはいるのは、神戸に対する自負心の強さなのです。
兵庫県には神戸ナンバーと姫路ナンバーの2種類があります(2つしか無い!)。しかし、姫路ナンバーを付けていると、「あ、そっちなんや……」と下に見られることもあるそうです。
当の姫路民も神戸ナンバーには憧れを抱いているそうで、「いつか付けてみたい」と語る夢見がちな播州人もいます。同じ播磨でも明石は神戸ナンバーなので、密かに格上だと思っているらしいのです。
それほど神戸の名前はブランド化しており、圧倒的な存在感により、周辺都市を上から見下ろしています。加えて神戸というだけで他県から羨望の眼差しで見られることも多いので、神戸っ子の自我は肥大化しているといえます。
その証拠として、例えば「神戸っていいところですよねぇ」切り出すと、「そんなんでもな
けど⋯⋯」と前置きした上で、神戸の良さを自画自賛して止まりません。
これが決してイヤミではなく、あくまで謙遜しながらもさりげなくアピールする芯の強さを持っています。本心とは真逆のことを言うイケズな京都民とも、何でもボケに変える大阪民とも違う独特の「褒められたいアピール」は、ええかっこしいというか、計算高いったらありゃしません。
その本音をずばり尼崎民に聞いてみたところ、「神戸っ子はしゃーないんちゃう?」と我関せずでした。姫路民に至っては「神戸っ子はハイカラさんやからね」と、まったくの他人事……。
他県民にすれば違和感を覚えてしまうほどの自意識過剰ぶりなのに、周囲から免罪符を与えられているので、ますます「いちびる」のも当たり前なのです。
神戸は、他地域の名産を「神戸ブランド」として売り出したとしても、そこに罪悪感を覚えることはありません。その最たる例が、2018年に過去最高値を付けて世界的な注目を浴びている「神戸ビーフ」です。
神戸ビーフの名称は、居留地に渡日してきた外国人が食べ始めたことに由来しています。もともと兵庫では食肉文化が一般的ではなく、牛を飼育しているのはごく一部の地域に限られていました。
そこで外国人たちが目を付けたのが但馬牛でした。但馬牛は約1200年前から、主に荷役用として飼育されてきました。牛が食肉として脚光を浴び、但馬の伝統的な産業になりました。
現在、ブランド和牛の約8割は但馬牛の血統で、かの松阪牛も但馬牛の血を引いているのだとか。その但馬牛ですが、外国人たちが「神戸ビーフ」と呼んだことでその名が定着しました。
1983年に神戸肉流通推進協議会が設立されて神戸ビーフの品質認定を行うまでは、但馬牛の肉はすべて神戸ビーフとなっていたそうです。
神戸ブランドを印象づけた神戸ビーフは、外国人と但馬牛の邂逅という偶然がもたらしたに過ぎません。しかし、神戸っ子は「神戸ブランドのおかげで有名になれたんと思うわ!」と豪語しているのです。
神戸っ子に対して尼崎民も姫路民も我関せずなのは、その自負心に慣れきっているからかもしれませんね。
阪急沿線はセレブで上品、阪神沿線はビンボーで下品。このイメージは、阪神間に生まれ育った神戸の人々の脳裏に刻み込まれています。
ある地元民は、就職で阪急沿線に移住したところ、実の父親から「なんや、エラいオシャレさんになってもうて!」とグチられたらしい……。阪神民には、阪急に対するコンプレックスや妬み、そねみが確かにあるようです。
こうしたイメージが定着したのは、宝塚歌劇団を作ったことでも知られる阪急の生みの親・小林一三の存在が大きいといわれています。
小林は明治末期、古くから街として栄えていた西国街道沿いを走る阪神電車に対して、あまり開発が進んでいなかった山村部に路線を通して住宅地を造成しました。日本初の住宅ローンを実施するなどして、大阪周辺から人を呼び込むことに成功しました。
そのなかでも芦屋近辺は別格で、余っていた土地を利用して豪商たちが次々と大邸宅を建て、その流れで自然とセレブが住み着きました。最強セレブタウンともいうべき六麓荘が誕生したのも、ちょうどこの時期です。
また、芦屋川駅から少し歩いた東山付近は、阪急の開発とは別に、富豪たちが土地を買い上げて好き勝手に開発した土地で、今も六麓荘とともに「ホンマの芦屋」と呼ばれ、本物のセレブが多く暮らしています。
この沿線格差を実際に検証しようと双方の電車に乗ってみたところ、思った通り阪神は「コテコテ」率が高かったです。
乗車した神戸三宮〜尼崎間には、脇にスポーツ(デイリー)を抱え、ビールやチューハイをひっかけているオッチャンが少なからずいて、ヤンキーっぽい若者や日焼けした労働者と思しき人も多数見かけました。
一方、阪急は全員とはいわないまでも、乗客に阪神では希薄だった品の良さが感じられました。そもそも電車を使う層は本物のセレブではありませんが、見た目が明らかに庶民とは違うのです。
なかにはむせかえるような香水の匂いを振りまく「オバタリアン・マダム」もいますが、乗車してきた甲南女子大生は清純派のお嬢様といった雰囲気です。
思えば夙川駅構内の甲陽線乗り換え口に成城石井があるだけで住民の経済ベースがわかるものですが、さすが京阪神で最高ランクのブランドを築いている沿線の客層といった感じです。
この阪急・阪神の沿線格差について、地元では阪急以北を「山側」、阪神以南を「浜側」などと呼び、あからさまに差別する人も存在しています。
そうした差別にもっとも敏感に反応しているのが「浜側」の芦屋民です。何やら阪神の芦屋駅を
最寄りとする南芦屋浜地区周辺に移住してきた人を、「山側」の芦屋民は「ホンマの芦屋民」と認めない風潮があるのだといいます。
しかしそうはいっても、芦屋の「浜側」にはヨットなどを係留する施設付きの大邸宅もあり、住民は基本的に裕福で、中にはとんでもない金持ちもいます。
ちなみに阪神電車内で小ぎれいな服を着て日傘を持った明らかに「異質」なオバサマを見かけたところ、彼女が降りていったのは芦屋でした。
それを見て筆者は、「芦屋だけは沿線不問なのかな」と思いましたが、どうもそう単純でもないらしい……。
後で聞いたところ、阪急・阪神格差のイメージが強すぎるせいで、浜側の芦屋民は格下扱いされ、尊心を満たせずにいるそうです。
気の毒な話ですが、六麓荘に代表される「山側」が長年築き上げてきた地域間のヒエラルキーを崩すのは、たとえセレブタウンの芦屋であっても困難なようです。
以前、とあるSNSの投稿が兵庫県民の間で静かな話題を呼びました。
これは、かつて存在した旧ユーゴスラビアが7つの国による連邦国家だったことになぞらえ、かつての5国が合併した兵庫をもじった造語です。
神戸出身の男性による投稿で、このワードに対する「いいね」の件数は、なんと1万5000を超えました。そして、賛同する投稿に多く見られたのは、兵庫県へではなく、地域への愛着を語るものでした。
こうした古い時代のお国の違いによる郷土意識は、時代を経るごとに薄れ、それぞれの「県」としての認識を多かれ少なかれ抱いていくのが普通です。
しかし兵庫県では今も、各地域民の地元へのこだわりは全国でも例がないほどに強く、県民意識は驚くほど低かったのです。
地方の場合、出身地を聞かれて県名以外で答えるのは、往々にして大都市の住民だけですが、兵庫県ではほぼ全域で、真っ先にそれぞれ地域名や都市名を答えます。
なかには神戸じゃないのに神戸という人もいましたが、県内のどこで取材をしてみても、ついに「兵庫県出身」と答える人は現れなかったのです。
こうした例は、地元への執着を如実に物語っているといえるでしょう。
兵庫県では「県としてのまとまりがまったくないこと」ことを念頭に置き、その過程で淡路
島民が語った「ある言葉」が深く印象に残っています。
「兵庫は、結局神戸なんや」。
いうまでもなく神戸は兵庫県の中心都市であり、その発展によって県民が被ってきた恩恵は計り知れません。しかし、そもそも神戸は摂津の小さな港にすぎず、貿易港として発展していく過程で、外国人などヨソ者が押し寄せて、周辺の市町村を飲み込んで巨大化してきました。
やがて神戸は県の屋台骨を支える都市に成長し、船来文化が定着して強いブランドイメージを発信するようになり、その地位は全国的に揺るがぬものになったのです。
県域など意味をなさない兵庫県にあって、とりわけ大阪臭が強いのが阪神地域です。
他県からしてみれば阪神という地名そのものが大阪のイメージが強い上に、宝塚、伊丹、尼崎からなら、神戸三宮よりも梅田の方が断然近いので、ショッピングの用立ては大阪方面に向かうという住民がほとんどなのです。
神戸民や姫路民に話を聞いても、「尼崎より東は完全に大阪のノリ」という意見が大半を占めます。しかし、当の阪神民たちはこれに真っ向から反論。
「大阪と一緒にされたくない!」「あんなにガラが悪くない!」など、大阪への辛辣な意見が目立ちます。
そこには大阪よりも兵庫の方がマシという消極的な理由もありそうですが、意外と兵庫県民を一番自認しているのは阪神民だったりします。
というわけで、「兵庫のどこまでが大阪論争」はいつまで経っても平行線を辿る運命にありますが、あえて線引きに挑戦してみます。異論反論は覚悟の上でご覧ください。
いきなり断言しますが、尼崎は完全に大阪です。たとえば尼崎で道を尋ねようとしてオバチャンに声をかけると、最低でも5分は話し倒されます。
このオバチャン気質は、兵庫県内の他のどの地域でも見られませんでした。さらに話している最中、彼女の渾身のボケにツッコミを入れないと「ノリが悪い」と一蹴されます。
かつて筆者が大阪の新世界で出会った「オバチャンのノリ」と酷似していることは言うまでもありません。
もちろん、オバチャンの例だけをとって尼崎が大阪だと結論づけているわけではありません。そもそも尼崎は市外局番が大阪の「06」です。
これは、1889年に設立された尼崎紡績(現ユニチカ)が自力で大阪から電話線を引いたからです。尼崎紡績とは、明治政府によって尼崎藩士を救済するために作られた会社です
その際に協力したのが大阪財界で、1896年には兵庫県から大阪府への管轄換え運動も起こりました。しかも大阪市が1941年に打ち出した市域拡張構想に尼崎が含まれていたこともあります。歴史的にも気質的にも、尼崎と大阪の親和性は高いといえます。
続いて伊丹はどうでしょうか。大阪との距離感では尼崎と似たようなものですが、伊丹と豊中を東西で結ぶ鉄道路線はありません。
その上、猪名川や藻川に加えて大阪国際空港(※伊丹空港ともいう)が構えているので大阪への往来は尼崎より不便です。
また、伊丹は酒造の街だったので、住民は大阪のような商人気質ではなく、職人気質が色濃いものです。大阪とも兵庫とも異なり、いわば独立している感じで、大阪圏というには若干無理がありそうです。
他方で宝塚は論外です。宝塚にはバブル世代のセレブが跋扈し、華やかで大阪感は希薄です。とすれば、境界線の北端は尼崎の市域と同じと考えていいかもしれません。
一方、大きく意見が分かれるのは西側の境界です。よく「武庫川を越えて西宮に入るとガラっと空気感が変わる」という話を聞きます。
確かに、西宮は震災後に再開発が著しく進み高級住宅地も多いです。しかし、阪神沿線の街並みは尼崎のようにコテコテで、甲子園の周辺は大阪風のお好み焼きやたこ焼き店、貧乏そうなオッチャンが居座りそうな飲み屋も点在しています。
西宮は歴史的に見ても、その大部分は旧尼崎藩エリアで、いくら爽やかな街に変貌しつつあるとはいえ、大阪的な尼崎の影響下からは逃れられないのかもしれません。
しかし、西宮で尼崎臭から脱却できているのが、西側で阪急今津線、北側だと国道2号線あたり……。
というわけで、このあたりを大阪と兵庫の実質的な境界線と位置付けたいのですが、あなたのご意見はいかがでしょうか?
「兵庫県民の神戸の印象!神戸のイメージ調査と住んでいる人の特徴」はいかがでしたか?
兵庫県にも地域によって様々な特徴があり、兵庫の代表格とされる神戸に対する様々なイメージがあります。エリアによって特性を理解するのも兵庫県に住む上で一つの知識となれば幸いです。
この記事はラポールアンカー神戸が執筆いたしました。
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