埼玉県民にはどのような特徴があるのでしょうか。埼玉といえば、「ダサいたま」などと言われたり何かといじられることが多い県ですが、その理由はどこから来ているのでしょうか。
その理由や埼玉の魅力を知っておくと住みやすさに直結するかもしれません。
この記事では、埼玉県の住みやすい街と郷土愛について徹底解説いたします。
✔埼玉県民の特徴
✔埼玉の住みやすさや郷土愛
✔埼玉県の裕福度
もくじ
埼玉県は、県民が思う以上に、周囲からは「ダサイたま」感たっぷりに見られている……? とりわけダサたま感を醸し出す理由の一つは、自分たちを「ダサイ」と割り切れない気位の高さにあるといいます。
特に浦和近辺の、各地の新興住宅街にお住まいの人たちです。
「千葉には勝ってる」「千葉よりは格上」として絶対に譲らないわりに、「神奈川にはとてもとても……」と強者に対して及び腰!
隣接地域でもない限り、茨城、栃木、群馬の北関東など歯牙にもかけないところがそうさせているようです。関東の他都県民は「ああ、埼玉人らしいや。どっちが田舎っぺなんだかねぇ」と首をひねるといいます。
埼玉県民には「東京のほう」であって東京ではないが、「気分は東京」っていう心象世界が広がっているのでしょう。
鉄道沿線に共通するキャッチフレーズは「目指せ東京!」です。とりわけ、1985年、大宮から武蔵浦和〜赤羽〜池袋を結ぶJR埼京線の開通によって東京はより近くなり、東京のベッドタウン化は加速しました。
そして、埼京線に西武池袋線、東武東上線が走る埼玉には、東京の玄関口は池袋という認識があります(東武伊勢崎線沿線など東部地域は除く)。
これに関連して「東京と一番つながっていて、どこか明るい鉄道は西武池袋線」などという共通観念まであります。
常磐線で上野駅を目指す茨城ヤンキーや、 やんちゃな埼玉人はみんな池袋でヤラかして大人になっていき、大人たちもまた池袋で飲み食いし、買い物をする習慣があります。
今では埼玉県内各地に商業施設があって、ネットで何でも買える時代ですが、都内で買い物するとなれば、やはり池袋を真っ先に考えるのです。
ヤンキーもそうですが、埼玉には犯罪が多いといわれています。たとえば2011年、県内の刑法犯罪認知件数は約4万件もあり、東京、大阪に次ぐ全国3番目という数字です。
郷土愛をすぐに芽生えさせるのは難しいですが、隣人同士がふれ合う環境なら、この数字も変わってくるでしょう。ベッドタウン県(埼玉)としての責任は、県や警察だけでなく自分自身の身をしっかりと守る必要がありそうです。
犯罪に関連していえば、狭くて大渋滞する国道17号も遠因か、運転マナーの悪さが原因なのか、埼玉は事故が多いです。埼玉は千葉に次ぐ全国ワースト6位という結果です。
全ての自転車利用者へのヘルメット着用を努力義務化とする改正道交法が施行されてから死亡事故は減少傾向にあります。埼玉県民もぜひこの努力義務を守ってほしいものです。
農業も工業も盛ん!所得も上々な豊かな埼玉県
ダサイたまなどと呼ばれていますが、埼玉県の実力はなかなかのものです。総務省統計局発表の「都道府県別都道府県歳入歳出額及び実質収支」によれば、埼玉県の歳入総額は47都道府県で東京都、大阪府、北海道、愛知県、兵庫県、神奈川県に次いで全国7位。
毎年前後することはあるものの、何かと気になってしまう千葉を上回っているのです。
市町村別の予算総額を見ると、さいたま市が圧倒的首位。次いで、川口市、川越市、所沢市となります。
首位さいたま市の予算規模は、ライバル県の県庁所在地・千葉市を大きく上回っています。横浜市には遠く及ばないが、それは仕方のないことです。
また、埼玉県発表の県内総生産は、東京都、大阪府、愛知県、神奈川県に次ぐ全国5位(千葉が6位!)。
さらに埼玉県民所得は、東京都、神奈川県、 大阪府、愛知県に次ぐ全国5位と上々(またしても千葉県が6位!)。つまり裕福な県といえるのです。
宅地や人が増えるだけでなく、 埼玉は工業も元気です。経済産業省の『工業統計表(市区町村編)』によると、製造業の年間出荷額は全国6位にランクイン (僅差で千葉県が7位!)。
伝統的な製造業のほか、本田技研や曙ブレーキ工業など、自動車関連業が頑張っている証拠です。
また、農林水産省の『農業産出額及び生産農業所得(都道府県別)』 によれば、農業産出額は全国1位と意外なほどにも農業も盛んです。
過去には 「東京都中央卸売市場(築地市場)における取扱高」は、野菜取扱額が全国8位(千葉県の2位には納得!)。
埼玉県民も都民も、深谷ねぎのみならず、埼玉の農作物を食べているのです。
埼玉県の豊かさを地域ごとに知るべく、県発表の「財政力指数」を見てみると、首位は戸田市、2位は三芳町、3位は和光市で、ここまでが1.0超の実に裕福な自治体です。
戸田市は人口増加中の都市で、競艇場(戸田ボート)からの潤沢な収入、工場や物流センターなど荒川水運を武器に、東京により近い埼京線の街として発展しました。
ほかの市も、再開発等によりベッドタウン機能を充実、工場や行政機関誘致に成功しています。秩父市の「出産・子育てしやすい街」事情もありながら、埼玉の住みやすさを示すものに待機児童の少なさ、減らそうとする自治体の動きも挙げられます。
保育所の待機児童数の多い市町村は、さいたま市、川口市、 朝霞市、川越市、新座市、和光市といったところです。
その他は軒並み減で、さいたま市を例にすると、保育所を新設、増改築するなどして、受入れ枠を拡大した動きが見られました。
加速度的に進む少子高齢化時代、こうした取り組みは「働き盛り世代」の新たな流入を生むでしょう!
ブランド総合研究所による「都道府県出身者による郷土愛ランキング」によれば、埼玉県は愛着度ランキングで8年連続で47位を獲得し、最下位に位置しています。
このランキングは、出身者に対する「愛着度」と「自慢度」を調査し、その結果を集計したものです。
同研究所の地域ブランド調査「魅力度47都道府県ランキング」では、埼玉県も下位の常連であり、北関東3県とともに下位に位置しています。
茨城県を筆頭に栃木県と群馬県の北関東3県とともにマイナスイメージで話題にされることが多いですが、埼玉県も同様の状況にあります。
埼玉県は地域の面積が狭いながらも、63の市町村があり、約733万人の人々が暮らしています。しかし、この県では郷土愛が低い傾向にあります。
東京のベッドタウンとして発展してきたので、仕事でお疲れのサラリーマンが多く、ヨソからの転居者も多いので、「埼玉になじんでいない人」が多いと考えられます。
ともかく「埼玉に生きている感」薄弱の県民が多い……。ちなみに、流入民の多さは、この少子 高齢化時代に、人口が右肩上がりという事実が克明に物語ります。
埼玉県において、昼間人口を夜間人口で割った昼夜間人口率は約89%となり、これは全国の都道府県の中で最下位に位置しています。昼夜間の人口差は約82万人と、これも全国で最多です。
このことからも、埼玉県への移入者は少ないことがうかがえます。しかし、一方で毎日約100万人もの県民が埼玉県内から東京へ通勤や通学のために移動しているのです。
埼玉県の立地を考えると、関東の1都4県に加えて山梨県や長野県とも接しており、これが余計に地域間の心のばらつきを助長していると感じられるかもしれません。
例えば、さいたま市周辺の都市部では、人々の視線が主に東京に向けられています。高層マンションの建設ラッシュや利便性の向上は目覚ましいものがあり、県内でも随一の活気を誇っています。
一方で、熊谷や行田などの北部地域は、群馬県とのつながりが強く独自の文化圏を形成しています。また、三郷や八潮などの新興の東端地域は、千葉県や茨城県の文化圏との境界に位置し、独自性を持ちながらも千葉・茨城の文化にも影響を受けています。
こうした地域ごとの特色がある一方で、地域間の相互補完や連携に関する発想が乏しいのが埼玉県の特徴です。
実際、秩父などの西端地域は他地域からは「未開の地」と見なされることもあり、その一方で西端地域の住民からはさいたま市周辺の人々を「気取ったやつら」とみなす向きもあります。
また、所沢や川越など西武の街として発展してきた地域は、独立心旺盛な衛星都市としての側面があります。このように、埼玉県内では地域ごとにバラバラな特性が顕著に現れています。
埼玉県民の中には、「面倒くさいな」と感じたら何もしないという傾向があると言われていますが、これは誇張されているかもしれません。
しかし、確かに選挙の低い投票率は県民性の一端を示すものと言えるでしょう。市町村レベルから県政、そして国政の選挙まで、埼玉県の投票率は低い傾向にあります。
例えば、過去の県知事選挙では投票率が24.89%と過去最低を記録し、次年の同選挙でも26.63%と低水準でした。これは全国の投票率平均52%から見ても、異例の低さといえます。
これは異常な数字であり、4人に1人しか県知事選挙に投票しない状況は問題と言えます。また、別の衆議院議員選挙でも、埼玉県の投票率は低く、全27回のうち最下位が2回、4位以下となったのが1回という状況でした。
役所(選挙管理委員会)は、低投票率の理由を「有権者に占める若年層(20〜39歳)の割合」によるものだとしています。
しかし、実際に数字を見ると、埼玉県の若年層の割合は全国6位であり、32.6%と高い割合です。つまり、働き盛りの現役世代や団塊ジュニアを含む若い世代が選挙に関心を持っていないのです。
戦国時代まで、埼玉県はしばしば「素通りされる地域」とされてきました。しかし、徳川の時代に入ると、江戸の大都市を支える衛星都市として、川越・忍・岩槻の三藩が発展しました。
また、五街道の整備に伴い、埼玉県域には日光街道と中山道が整備されました。一方で、埼玉を治めることは出世の道であり、藩主の交代が頻繁に行われる状況でした。このような状況から、「郷土を愛する心」が根付かない土壌が形成されたと考えられます。
明治元年の段階では、現在の埼玉県域には6つの藩(岩槻藩、川越藩、忍藩、半原藩、前橋藩、高崎藩)と4つの県(岩鼻県、武蔵県、韮山県、葛飾県)が存在していました。これらの藩や県は合併や編入を繰り返し、徐々に現在の埼玉県域を形成していきました。
埼玉という行政区の名前が初めて登場したのは、1871年の廃藩置県の後です。当時、武蔵県は品川県(現在の東京23区西部)と大宮県に分割され、さらに大宮県は浦和県と改称されていました。そして、浦和県と忍県、岩槻県が合併して埼玉県が誕生しました。
この時成立した旧埼玉県は、現在の県東部に相当します。そして、旧埼玉県の県庁所在地は当初、岩槻(旧南埼玉郡岩槻町)に置かれる予定でした。
しかし、岩槻の庁舎が手狭だったので、暫定的に浦和(旧足立郡浦和宿)の庁舎で業務が行われることになりました。
結果的に、浦和が県庁所在地となる運びとなりました。このような混乱した経緯から、埼玉県の船出は順調とは言い難く、県民が埼玉県民としての誇りや郷土愛を持つことが難しい状況が生まれました。
戦時中、埼玉県は東京からの疎開者、つまり移民とも言える相当数の流入民を受け入れました。また、戦後の復興期において、日本が大発展し高度経済成長を遂げる中で、埼玉県は東京の巨大ベッドタウンとしての性格を鮮明にしました。
地価が高く、家賃も高かった東京に比べて、埼玉は緑が多く、鉄道も走っており通勤も不便ではありませんでした。そのため、多くのサラリーマン世帯が埼玉に移り住んできました。
昼間は都内で働き、夜だけ埼玉に帰る生活を送ることから、「埼玉都民」と呼ばれるようになりました。埼玉都民の中には、自己愛に満ちたマイホームやタワーマンション、低層高級マンションでの生活を一流の埼玉都民ライフと考える人もいました。
その中でもプライドが高く自己愛の強い生活スタイルが、埼玉県の郷土愛が生まれにくい土壌に拍車をかけたと言えるでしょう。しかし、全ての新住民がそうであるわけではありません。中には、交通の便がよく、東京よりも安いという理由で引っ越してきた人もいます。
現在、埼玉県では中国人をはじめとする外国人居住者が団地を占拠するかのように増加し続けています。さらに、フィリピンやパキスタン、クルドの人々なども含め、外国人居住者の増加という別の次元の問題も存在しています。
埼玉県、特に都市部では、国境を越えて流入する移民が絶えないので、次々と「郷土愛無関心層」が移り住んできています。このような状況から、心からの郷土愛を求めること自体を諦めるべきだという意見もあります。
埼玉県における外国人の存在は、未来を展望する上で大きな武器となり得ます。日本は現在、少子高齢化という大きな問題に直面しています。
2004年をピークに人口減少が始まり、そのスピードは驚異的です。総務省の資料によれば、2050年には9515万人、2100年には約4772万人(中位推計値)にまで減少すると予測されています。
この人口減少は、100年前の明治時代後半の水準に逆戻りするものであり、現在の産業構造の変化やAIの進化に関わらず、日本の将来に大きな影響を与えるでしょう。
このような状況下で、埼玉県が外国人を受け入れてきたことは、大きな武器となります。外国人の存在は、将来の労働力不足を補うだけでなく、地域経済や文化の活性化にもつながります。
外国人労働者の受け入れは、あらゆる産業での競争力向上につながり、国力の維持や向上に貢献するでしょう。そのため、埼玉県は外国人居住者を受け入れることで、将来への展望を明るくする重要な一手となり得ます。
外国人労働者の受け入れ拡大は、埼玉県を含む日本全体の国力を維持するために不可欠な方策として位置付けられています。
政府は2018年6月に、「経済財政運営と改革の基本方針」(通称:骨太の方針)の原案で、外国人労働者の流入拡大を認める方針を示しました。
これは、移民容認につながる可能性があり、そのためには反対意見も根強く存在しますが、現実を見据えた判断とされています。
具体的には、農業、介護、建設、宿泊、造船の5業種で外国人労働者の受け入れを拡大し、2025年頃までに50万人以上の受け入れを見込んでいます。
しかし、この方針には犯罪対策、在留管理、雇用管理などの課題が山積しており、様々な課題に対処する必要があります。また、今回の方針が移民政策を否定したままの場当たり的な対応であることも指摘されています。
確かに、埼玉県は外国人労働者の受け入れや外国人コミュニティの存在において、他県をリードしています。外国人の存在による文化の違いから生じる様々な問題は依然として存在しますが、それに対処するために地域の人々が積極的に取り組んでいます。
埼玉県民は、外国人との共生や問題解決のために行動することで、必要な免疫力を養ってきたと言えるでしょう。このような状況を鑑みると、埼玉県は外国人との共生において進んだ姿勢を示しており、日本人全体の外国からの移民に対するアレルギーを克服する先駆的な存在として位置づけられるかもしれません。
将来的には、新住民の外国人との共存が進み、新たな埼玉の姿や県民性が形成されていく可能性があります。このような変化の中で、埼玉県民は外国人との共生を通じて新たな「埼玉愛」を育んでいくかもしれません。
「埼玉県民の特徴と住みやすさ!埼玉の住みやすい街と郷土愛」はいかがでしたか?
埼玉の郷土愛がない理由はさておき、県全体では裕福で潤いのある県です。県全体で様々な取り組みがされている中で、東京のベッドタウンとしてアクセスも抜群といえます。
埼玉に住む上での豆知識として活用してみてくださいね。
この記事は「ラポールアンカーさいたま」が執筆いたしました。
1993年10月28日生まれ。現住所、神奈川県横浜市。
関東地方で最高峰の頼もしさを発揮している超フレンドリーな婚活アドバイザー。
家族や友人からは「鋼のメンタルで常に飄々としている」との声もあり、その実力はお墨付き。
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尊敬する人は母。
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