山梨県は、その全体を山に囲まれた巨大な盆地と見られるが、県内にも大きな境界があります。笹子峠、御坂峠を象徴とする、御坂山地と大菩薩嶺がその境界線です。
古くから、この境界線の踏破は非常に困難で、行き来は楽なものではありません。鉄道や高速道路の充実した現在でさえ、大雪で甲府盆地が孤立状態に陥ることもあるように、大きな交通の障害だったのです。
こうして、山梨県(甲斐国)には、大きな壁で隔てられた、二つの地域が存在することになりました。つまり、甲府盆地などの「国中」と富士山麓から都留、大月などに広がる「郡内」で二極化したのです。
それでは、山梨県にはどのような特徴があるのでしょうか?
この記事では、山梨県の特徴とそこに住む男女の特徴について徹底解説いたします。
✔山梨の歴史から学ぶ山梨県の魅力と特徴
✔山梨女性は気性が荒い理由
✔山梨男性は実はハイスペックの理由
もくじ
国中は、ほぼ甲府盆地全域のことを指します。
元々は現在の甲府市、甲斐市、山梨市、甲州市、笛吹市、中央市、西八代郡が「国中の本場」で、西側の北杜市、南アルプス市、韮崎市、中巨摩郡、南巨摩郡などの旧甲斐国巨摩郡は別扱いされることもありました。
しかし、両地域は比較的交通の便も良く、現在では一つのグルー プとされています。
国中も内部では大きく4つに分かれています。甲府市、甲斐市、中央市、昭和町など中央部の峡中。北杜市、韮崎市の峡北、南アルプス市は峡西、笛吹市、山梨市、甲州市が峡東です。
「国中地方」は、戦国時代から続く山梨県の政治の中心の甲府を抱え、平地があることから伝統的に農業が盛んな地域です。
特に江戸時代以降は、農業技術の進歩などもあり、それまで山梨県が苦手としていた米作もできるようになりました。
しかし他の「米所」県に比べればその規模は小さく、米作の比率は高くありません。
その代わり、狭い土地や山や丘陵地帯でも生産が可能で、また耕地面積に対して利益の大きい養蚕や果物栽培が伝統的に盛んです。
甲州商人の主力商品は絹糸であり、それで天下の甲州財閥を築いたので、全国的に見てもブドウなどは有名で、付随してワイン生産なども積極的に行われています。
これに対して「郡内」は現在の大月市、都留市、富士吉田市、上野原市、北都留郡、南都留郡などに当たります。
これらの地域は、甲府盆地に比べ平地が少なく、 現在も人口は少なめで、居住エリアは河川に沿って広がっています。
こうした地形のため、郡内地方は古くから耕作に適しておらず、その代わりに甲斐絹と呼ばれた絹織物産業や林業が発達したという歴史があります。
郡内は、大月や都留などの東側と、富士山麓に大別されます。農業が産業の中心だった頃はあまり豊かな地域とはいえませんでしたが、現在では観光や豊富な水資源を活かした工場誘致などに成功し、状況は変化しつつあります。
このように、地理的にほとんど分断されていた国中と郡内の交流は難しく、それぞれが独自の発展を遂げてきたことにより、住民の気質にも大きな違いが生まれています。
過去においては困難な陸路よりも、比較的容易な水路交通や輸送が盛んだったこともあり、郡内は多摩川や相模川経由で東京や神奈川から、国中は富士川経由で静岡と主に商取引などで密接につながっていたことも、気質の違いに大きく影響しています。
同じ山梨県でありながら、中央を走る峠のおかげで背を向け合ってきた国中と郡内の気質の違いとは、具体的にどのようなものでしょうか?
壁に隔てられたといわれる国中と郡内。それでは、その気質の違いとは具体的にどのようなものなのでしょうか。
一般的に言われるのは、「郡内は都会っぽい」ということです。
(当然これには強く異をとなえる人はいて、実際は田舎だ)
大都会である東京に行くにしても、峠を二つも越えなければならない国中よりも、一つ越えれば良い郡内のほうが遥かに楽でしょう。
この交通条件の違いが、都会っぽい郡内を作りあげたと考えられます。 これに対して、甲府盆地という完全な隔離地帯である国中は、良くも悪くも独自性が強いです。
また、県都があるわけで、 当然政治的には郡内に対してアドバンテージがありました。
江戸時代に農業技術が進歩し、国中ではそれなりにお米を作れるようになったのですが、郡内は基本的には山間地ばかりなので、どうしてもお米に関しては国中を含む他の地方から回して買うしかありませんでした。
このため食料という首根っこを伝統的に国中が押さえているという構造があり、国中、郡内に相克を呼んでいたのです。
人口も少なく、食糧の自給も難しかった郡内は、弱い立場のため地域単位 のまとまりが良く、基本的には国中から虐げられていたので、自然とその目は東に向きます。
こうして「国中のヤツラと付き合うくらいなら東京に行くわい」となり、さらに「都会っぽく」なっていったのです。
それ以外にも、食料の生産力が弱さをカバーするためにその他の産業を発達させ、特に絹生産が盛んでした。
このため、国中で蚕を育て、郡内で織るというシステムもでき上がります。これも感情的な対立を生んだ一つの要因だったのかもしれません。
原料生産者(国中)は「おらが繭作らねば何にもできないずら」という気持ちになり、技術を発展させた郡内人は「おぼこさん育てるしか能のない」という意識があったのかもしれません。
また、郡内はその内部でも交通状況が悪く、方言一つとってみても細部ではかなりの違いがあります。
これに対して国中人は、峠を越える必要がある東京よりも、富士川を下れば近い静岡とのつながりのほうが強いです。実際、身延線で甲府から富士まで一本で行けて便利であり、移動時間も短いです。
こうした伝統から、「国中は静岡派」「郡内は東京派」といった構造も生まれて、それぞれの気質にも大きく影響があるのです。
とはいいつつも、JR中央線や中央高速が整備された現在では、こうした気質の違いは薄れてきています。
近年ではむしろ、国中の「静岡離れ」が深刻で、これを危惧したのか静岡県側から「仲良くしましょう」アピールがあるようです。
それでも国中の人は静岡県に親戚がいるケースも多く、数百年続いた意識の違いは、今も潜在的に残っているでしょう。
さて、ここからは山梨県人をテーマにお伝えしていきます。まずは女性の気質から探っていきましょう。
実は山梨の女性は気性が荒いと言われています。果たして、その理由はどうしてなのでしょうか?
「山梨県の女性は気が強い」という評判があります。江戸時代以降、日本では全体的に男尊女卑の傾向を社会システムの安定のために植え付けてきたのですが、これはどうしたことでしょう。
さらに細かく見ると、山梨県の女性は「現実主義的」「経済観念がしっかりし ている」「地味」「ミーハーで自分が地味なことを気にする」などという意見が見つかりました。
さらに詳しく見ていくと、山梨県の女性像は、職種的に、「経理のおばさん」像が浮かび上がってきます。
(それも仕事ができて社内地位も高いパターン!)
それではこのように「山梨県の女性が強い」という理由を調べていくと、 かなり腑に落ちる解答が得られました。
山梨県は、そもそも耕地が他の地域に比べて少なく、その分「米以外で金になる」産業が発達してきました。
これらの産物(養蚕、絹織物)が、山梨県をして商業都市として成長させてきたのですが、これが山梨県の女性像をかたち作るにあたって決定的な役割を果たしています。
絹織物は、要するに機織りです。世界的に、こうした家庭内労働は女性が担ってきました。男性は畑仕事をしたり戦争で略奪をするのが仕事だったので、これは生物的な雄雌の違いに立脚した役割分担があったのです。
しかし、江戸時代以降の山梨県の状況を考えてみると、山梨県は耕地面積に乏しく、江戸時代にもなれば基本的に戦争もなかったので、戦に出て略奪をしてくる機会も少ないです。
つまり男性は役立たずな状況に置かれていたのです。
一家の稼ぎ頭が、その家の政権を握るのが建前です。昭和のおやじは一人で家族全員の家賃と食費などを稼いでいたので、偉そうな地位を主張できました。
これが山梨県だと、他地域で主張できた「稼ぎ頭」の地位すら希薄だったのです。
そこで仕方がないので、女性の作った織物を行商したわけです。栄光の甲州商人のルーツが女性に叩き出された男性であるというのは、想像するとなんとも面白いものがありますね。
一方で、「女性が強い山梨」のイメージはあまり全国的に普及していないでしょう。いろいろな人から話を聞くと、「実は女性らしい」という意見もありました。
これは山梨県の女性が、その権力の強さを巧妙に隠すテクニックを身につけているからかもしれません。
例えば、「九州男児」のイメージを巧みに利用し、家庭内で絶対権力をふるう九州の女性にも共 通するスタイルなのでしょうか……。
いずれにしても、家庭内管理と生産の双方を完全に押さえる女性像というのは、全国的に見ても少ないでしょう。
その力の源であった絹関連産業が明治時代以降衰えてからも、こうした伝統はあまり変わっていないようです。
男女が逆転するのはもう無理なのかもしれません。
次は、山梨男性の特徴を見ていきましょう。実は山梨は全国的に見ても、県民所得が高い県とされています。
その影響は、やはり歴史を遡ると明確になりました。高所得の男性と結婚したい人は、ぜひそのルーツをご確認ください。
山梨県民には「無尽」は今もメジャーなのでしょうか。
「無尽に入れば立派な山梨の一員に」などという人もいるのですが、これが有名なのは、もはや山梨県くらいです。
(筆者の私も、取材をしていて初めて知りました)
無尽とは、要するに小規模の融資を伴う相互互助システムです。無尽は、古くは鎌倉時代以前からあったようで、そのスタイルが広まったのは江戸時代からとされています。
小口のものでは庶民の間で流行した富士講や伊勢講など、お金を出し合って代表になった人が富士山や伊勢神宮などにお参りにいく「旅行無尽」というべきものがあります。
また、単純に集まったお金をくじ引きで勝った人が総取りする「富くじ無尽」、 先に紹介した融資システムに近い庶民の「小口無尽」や女性同士で行われた「前垂無尽」、大商人や高級武士が大規模な資金を集めるために行った「千両無尽」 などが普及しました。
これらの無尽は富くじ無尽が流行りすぎたおかげで幕府の規制対象となってしまいますが、明治以降はよりビジネス面の強い無尽が広まり、「無尽業者」が誕生しました。
戦後はGHQの勘違いにより無尽会社の存続が危ぶまれましたが、「相互銀行」への転身で対応しました。その多くはバブル崩壊後の再編で吸収・合併されてしまいましたが、個人間の無尽は細々と続き、主農村・漁村地域で残っています。
やはり、山梨県は江戸時代から商業都市傾向が強く、経済システムへの理解が深かったことは、今も無尽が息づいていることの大きな理由の一つでしょう。
現在、山梨県では養蚕も衰え、経済的には決して豊かな県とはいえません。 しかし実は、山梨県民の所得は全国ランキングで上位にいて、決して低くはありません。(2019年度で12位)。
これは一部の産業が支えているという面もありますが、無尽という相互互助の伝統が、窮地に陥った会社や家庭を少なからず救ったのだと考えたいものです。
一時的な資金難で容易に破綻するのが今の経済です。無尽というシステムがセーフティネットとして機能したのであれば、これは誇るべきことでしょう。
「山梨女性は気性が荒いって本当?県民所得が意外に多い山梨男性の相性」はいかがでしたか?
歴史を遡ると、山梨の成長ぶりと山梨県人の特徴がハッキリとわかりました。これは婚活をする上で、一つのネタになるかもしれません。山梨県人の特徴を理解して、楽しく婚活しましょうね。
この記事は結婚相談所ラポールアンカー甲府が執筆いたしました。
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